私が講演会に(あまり)行かない理由

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涼しくなり催し物を開きやすい季節になってきたからか、講演会やセミナー、トークイベントの案内が時々届く。以前は経験づくりだと思って薬用植物とか株式投資とかのセミナーだったり、議員さんの講演会だったりにちょこちょこ顔を出していた時期もあった。だが、数年前からはよほど親しい人が出演するのでない限り基本的にそうした場には参加しておらず、意識的に距離を置いている。

理由は単純で、会場の雰囲気や登壇者のキャラクターに呑まれてしまうと、冷静な意思決定を見失うと思ったからだ。本来、講演内容の正確性や有益性は、会場の雰囲気とか登壇者の人柄の良し悪しとかとは切り離して考えなければならないことだ。たとえば健康法のように個人差が大きいテーマや、政策のように長期的に暮らしに関わるテーマは、会場の雰囲気のような表層的なノリで判断すべきではないと思う。講演内容に対して自分が本心から納得できたかどうか考えるため、落ち着いた環境で批判的に検証して静かに内省する時間が欲しい。

しかし多くの講演会やセミナーはその孤独な検討の時間を与えてくれず、登壇者や司会が巧みに場の雰囲気を盛り上げる。これによって引き起こされるのが「流暢性バイアス」と呼ばれる心理的な傾向だ。話が分かりやすく整理されていたり、声やスライドのテンポが心地よかったりすると、それだけで内容が正しいように感じてしまう。たとえ根拠が乏しい主張であっても、スムーズに伝えられると信頼できそうに見えてしまうのだ。登壇者や司会が話し手として優秀であるほど、セミナーの場でこの効果が強く働きやすいと思う。

そしてその流れで物販や次の有料セミナーへの勧誘が行われることもあった。あの状況はかなり危うい。冷静な判断力を失い、勢いで購買行動をとって更なる深みへ引き込まれるおそれもある。

もちろん例外や折衷案もある。登壇者のキャラクター性を押し出さず、淡々と事実や研究結果を解説してくれるセミナーであれば、流暢性バイアスの影響は限定的で冷静に聞きやすい。技術系のセミナーとか、学会の基調講演とかがこれにあたる。また、講演内容を文字起こしした資料を後から読んで内容を吟味するのも良い。さらに、本当に科学的に検証されたものであれば、査読付き論文として公表されているはずだ。であれば論文の方をゆっくり読みたい。

私は自分の意志の強さに自信を持てないので、そもそも「流されやすい場」には近づかない生存戦略をとることにした。誘惑に抗うより、最初からそうした場に身を置かないほうが合理的だと思うからだ。自分の判断力を守るには、賑やかな会場にいるよりも、静かな自室か畑で冷静に思案する方が私の場合は適している気がする。

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