槻井泉神社の秋の宵祭に出演しました

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地元の長野市南堀には「槻井泉神社」という神社がある。ただし、インターネットで「槻井泉神社」と検索しても、トップ表示されるのは松本にある同名の神社についての解説がほとんどだ。

そこでChatGPTの力を借りて南堀の地誌を探ってみたところ、「長野市/長野市デジタルミュージアム ながの好奇心の森」に記述が見られた。

【一 神社】

①祭神 生井神、相殿 大国主命(おおくにぬしのみこと)・健御名方神、配祀(はいし) 猿田彦命(さるたひこのみこと)・八坂刀売命 ②由緒 南堀の産土神。元は諏訪(すわ)社であった。干ばつのとき、「お宮の槻の老木の下を掘れば泉が出る。」という夢のお告げがあったので、掘ってみると果たして泉が出た。そのため天保(てんぽう)十五年(一八四四)現社号に改めたという。元慶(がんぎょう)五年(八八一)槻井(つきい)泉神が従五位下を授けられている(『三代実録』)。境内社に、金刀比羅(ことひら)社、養蚕社がある。例祭は十月七日。

祭神の生井神は文字通り井戸の神様で、昔干ばつが起きた際に「槻(ケヤキ)の老木の下を掘れば泉が出る」というお告げに従ったところ泉を掘り当てられたという伝承に因むという。また、相殿神がタケミナカタノミコトであるあたりいかにも長野らしいが、そもそも元は諏訪社だったのか。

この由緒ある槻井泉神社では毎年9月後半に例祭が開かれ(上記サイトで「例祭は十月七日」と記載されているのは旧暦の話?もう少し調べてみたい)、夕方から夜にかけて町内の神楽巡行と獅子舞が恒例となっている。この神楽は太平洋戦争中に途絶えたが、戦後に復活してからは保存会による演舞と承継が続いている。私も神楽保存会に小学生の頃から所属しており、篠笛、太鼓、囃子を地域の方々から教わって祭りで演奏した。大学進学後も祭りに合わせて帰省し、その都度人手の足りていない役割に入っていたため、もはや子供の頃の思い出という範疇ではなく現在進行形のライフワークになっている。

今年も神楽に参加するため、20日の昼前に飛騨を出発して15:30頃に長野の実家に到着。ひと休みしてから着物を着て公民館に集合し、前年の祭り以来に神楽メンバーと対面。小学生の頃から馴染みある顔ぶれが、その後様々な道に進んでも祭りに合わせて集まる。

まだ明るい17:00、神楽巡行が始まる。東廻り・西廻りの2グループに分かれて、それぞれ大八車に乗ったお社を地域の大人が交代で曳き、10人程度の笛方(一部が太鼓を兼任)、獅子舞担当2〜3名がついて歩く。移動しながら道中囃子の笛太鼓を演奏し、新築の家や病院、コンビニ、公園などの獅子舞を演じるポイントを巡る。17:00に公民館を出発し、19:00少し前に一旦公民館に戻って東廻り・西廻りが合流。その後、槻井泉神社へと道中囃子を奏でながら向かうというスケジュールだ。

大八車に乗ったお社。雨よけのためシートで覆っているので太鼓が叩きにくかった・・・

小学生から中高年まで多様な年齢層が皆真剣に、それでも休憩できる時は談笑しながら夕暮れの町内を賑やかす。初めて顔を見る小学生がいる嬉しさ、かつて笛を教えたちびっこが大学生くらいになっている頼もしさと同時に、年月の過ぎ去る早さを感じる。

私はその都度人手の足りない役に入るワイルドカード的ポジションだったので、笛、太鼓、獅子舞の後持ち(2人1組で獅子を舞うときの後方担当)なんでもやった。なんなら、前半だけピンチヒッターで西廻りに入り、後半から東廻りに合流するという変則的な挙動をした。

この変則的な挙動になった理由は、当初は東廻りだけ担当する予定だったのだが、西廻りの後持ちの方が急遽仕事で遅れるということで、前半だけ西廻りの後持ちの応援が必要になったためだ。私も後持ちは未経験だったのだが、2日前に突然打診されて挑戦してみることにした。

獅子の胴体を後ろから支えているのが後持ちの主な役割だが、突っ立っているだけではない。舞の進行に応じて胴体を覆う布を巻き取ったり広げたり、頭担当に鈴と幣を渡したりと、意外とやることが多い。直前にやっぱり不安になったが、これまで何年も笛・太鼓方として舞を見てきたのでなんとかなった、と思う。獅子舞の胴体内から見る景色は、ほぼ頭担当の背中しか見えない。足をつっかえないようにしながら相方と足の動きを揃えるため、たぶんここ数年で一番足元に気を遣った。

もちろん道中や獅子舞での笛と太鼓も交代で兼任。太鼓をところどころど忘れしたり、笛が途中で息切れして低HPを露呈したりもしたが、その時は頼もしい後輩達が力強く補佐してくれた。

神楽が町内を練り歩く最中、夕方からポツポツ降っていた雨が徐々に雨足を強めてきた。槻井泉神社は井戸の神様を祀っているため祭りで雨が降るのは大変縁起が良いと昔から言われている。というか、雨でずぶ濡れになりながら練り歩くのは演者にとってはたまったものではないので、縁起が良いことだとでも思わないと気力が持たない。

雨のため屋外での獅子舞がいくつか中止になったものの、時間通りに練り歩いて神社に向い、本殿で獅子舞を奉納するという驚きの貫徹ぶりを発揮した。なお、コンビニでの獅子舞は当初駐車場でやる予定だったが、雨が強いので店内の雑誌とか薬とか並んでる比較的広い通路で強行した。やはり南堀の神楽保存会は練度が違う。

ついこの間まで蒸し上がるほどの暑さだったのに9月の雨に当たると夜は寒い。全行程が終わる頃には若干震えていた。懐かしい面々と近況報告を交わして労いあい、天候も天候なのですぐに解散となった。きっとまた来年会う、なんならLINEで練習の状況や保存会の様子をこまめに共有できる、という信頼ゆえのあっさりした解散だと思う。

子供の頃は最年少で免許皆伝したことでとても重宝され、神楽巡行している時もなんだか誇らしい気持ちがあったものだ。今も笛が力強くて良いとお褒めの言葉を何度もいただいたが、自己評価としてはやっぱり年々いろいろ忘れているし、肺活量が落ちて持ち前の力強い笛も持続性がなくなっているし、もっと優秀な小中学生が現れたりと危機感も持っている。神楽保存会の活躍があるとはいえ年々担い手が減っている実情も垣間見えたので、継承者としてレベルアップしないとなとは思っている。

来年はもっと練習してから参加しよう!と毎年祭りの直後は言っているのだが、結局忙しさにかまけてあまり練習できていない。それでも言わないことには危機感も生まれないので、あえて今年も言っておきたい。

来年はもっと練習してから参加しよう!

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